プロフィール
氏名 | 大城裕一郎(おおしろゆういちろう) |
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出身地 | 沖縄県那覇市 |
家族 | 独身 |
趣味 | ビーチパーリー、野球・サッカー観戦、行ったことのない場所に行くこと |
好きな食べ物 | 肉、寿司、アイスクリーム |
座右の銘 | 一生懸命こそかっこいい |
免許 | 鍼灸師、柔道整復師 |
大城ストーリー
初めまして。大城裕一郎(おおしろゆういちろう)です。
私は沖縄県で生まれ育ち、小中高と野球に没頭する毎日を過ごしていました。
1に野球、2に野球、毎日野球のことばかり考え、白球を追いかける日々。
野球の上達本や甲子園関連の雑誌を読むのが日課で、図書委員なのに月間読書冊数はクラスで最下位争いの常連でした。
ですが、それほどまでに夢中になれた野球のおかげで、大切な仲間と出会い、良き指導者に恵まれて、少しずつ歩んでくることができたと実感しております。
ここまで成長することができたのは、伸び伸びと私の好きなことをさせてくれた母のおかげです。
沖縄を出てこちらで生活するにあたり、親元を離れたからこそ分かるありがたみを日々痛感しています。本当に母は偉大です。
私自身、なんだか自然と母に優しくなったような気がします。元気な身体で産んでくれた母に日々感謝しております。
私は高校卒業後、スポーツ関連の仕事に就きたいという漠然とした思いから、【柔道整復師】の養成学校へ通います。
在学中は接骨院に勤めながら臨床の現場を学んでいました。
ちょっとした繋がりから、当時bjリーグ(現在Bリーグ)のプロバスケット選手と出会い、そのご縁から身体のケアを任せていただくことになりました。
ファイナルにも出場するチームの選手でしたので、重要な試合の前にケアをする責任を感じながら、ケアをした選手がテレビで活躍する姿を見れること、
これは私にとって大きな財産となりました。また、そのプロの選手の身体は満身創痍といった感じでトラブルを抱えている箇所が多く、
「選手が最善の状態でプレーするにはどうしたらよいか?」を真剣に考えていくうちに、鍼灸師の免許を取得することで更に幅を広げられると思い、
鍼灸師の養成校へ通うことにしました。
鍼灸師の養成校では、入学前から免許取得後は県外へ就職することを決めており、スポーツに携わる道を模索していた中で、
私にとって衝撃を受ける先生との出会いがありました。
その先生は鍼灸養成校の教員をしながらJOC(日本オリンピック委員会)の医科学強化スタッフを務めている、最前線で働くスポーツトレーナーです。
在学中には技術指導やNTC(ナショナルトレーニングセンター)での臨床見学をさせていただき、心の奥底から何かが湧き出すような感覚がありました。
「このような先生になりたい!」と憧れをもつようになったのも、この頃からだと思います。
鍼灸免許を取得後、スポーツトレーナーになる前に、一般外傷処置や臨床経験を求めて、埼玉県内の整形外科へ就職しました。
毎日外傷で来られる方、慢性的な症状でお悩みの方を数多く対応させていただくうちに、
「この患者さんに私ができることはなんだろうか?」と考えるようになり、自問自答する日々が続きました。
このやり場のない気持ちをどうぶつけたらいいのか、患者さん自身が迷い、悩み続けている現状。
その時ふと気付いたのは、常に鍼灸でどうすることができるか、とイメージしながら患者さんの対応をしていたことです。私は、これだ!!と思いました。
スポーツの現場よりも、一般の人がこれほど多く困っている現状を思い知らされた私は、整形外科を退職。
実は今だから言える話ですが、次の就職先が決まらないまま退職したので、1か月間は運送のアルバイトをしながら就職活動を行っていました。
以前から「よしむら鍼灸治療院」が近くにあることを知っていたので、こういう治療院で働けるといいな、と思っていた矢先、
なんと絶妙なタイミングで求人情報が入ってきました。
【パソコンを開いた15分後に起こった奇跡】です!これは何かのご縁だと感じた私に迷いはありませんでした。
私は周りの方々に支えられて生きている、と感じることがこれまでに数多くありました。
柔道整復師・鍼灸師の免許を取得することができたのは、当時勤めていた接骨院やデイサービスの上司・スタッフ皆さんのおかげです。
特に鍼灸学生時代は、夜間部での通学がしやすいよう配慮していただきました。この場を借りて改めて感謝したいと思います。
家族をはじめ、多くの方々に支えられ、上京して丸5年。
縁あって吉村先生と出会い、入社したbright鍼灸院は私の想像をはるかに超えていました。
患者さんがbrightへ来院する度、表情がどんどん変わっていく姿を見て、
「筋肉への治療で救える方が多くいる。整形外科で感じていた慢性症状でお悩みの方を救いたい!」と決意を新たに、
「一生、必要とされ続ける人間になりたい」と強く感じました。
第二の故郷である越谷の地を活性化できるように、
bright鍼灸院の一員として微力ながら貢献したいと思っております。
これからも末永くお付き合いのほどよろしくお願いいたします。